縁 は 異 な も の
68歳の挑戦から”縁は異なもの”にタイトルを変更しました。
08 | 2017/09 | 10
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孫とばあちゃんの珍道中
3泊目はウエリントンに住むリサの家に泊めてもらいました。
首都ウエリントンは風が非常に強い町です。丘の中腹にあるWellingtonの看板はtonの字が風に吹かれて舞い上がっているデザインでユーモアーたっぷり。リサの家はこの丘の上にあって、夜は台風かと思う強風です。10分程下った海に沿って空港があります。この強い風でも安全にと、ウエリントン空港には一流のパイロットが集められていると言ってました。

父親マサは努めて日本語を話しかけていて、ショーは2歳児でまだ喋り始めたところですが、声かけられた言葉を毎回繰り返すんですね。その発音は日本人と変わりありません。おばあちゃん、と私のことを呼び、おいしいね、もっとちょうだい、いただきます、いい子いい子,そして連発したのが、あつし。母親のリサも日本語を修得しているので、今回の旅は日本語が飛び交って不自由しませんでした。
何がご不満?ショーです。
ショー1

映画の大道具を制作しているマサの作業場も見たかったけれども、時間が少なくて残念でした。
国会議事堂あたりを歩き、NZ特有の淹れ方をする一番美味しいコーヒーを飲むと、美術館は素通りでちょっと悔やまれましたが、市民の憩いの場になっている港町を風に吹かれて散策したこと、家の裏山に上り眺めた周囲一面の海景色は忘れません。

4泊目はクライストチャーチのホテルです。
語学校の生徒23人が地震で亡くなった映像を覚えているでしょう、その近くのホテルの多くは閉鎖されたままでしたが、残った2つの高層ビルの一つに泊まりました。地震以後はビルの高さに制限を付したそうですから、このビルは抜きんでて高く、何十年後に再び訪れようとも、今回宿泊したホテルはパッと見つかるはずです。
 ここは目的地マウントクックへの通過点と思っていたのですが、リサ家族と街中を沢山見物出来ました。ちょっと面白い話ですが。地震の映像にあった大聖堂です、壁が崩れていました。しかし、あれは地震で崩れたのではなくて、市で取り壊し始めたら市民の抵抗があって放置されていたそうです。勘違いした人が多いけども崩れ落ちたのは塔だけですよ、と聞きました。その大聖堂の代わりに作られたのが、日本人が制作したダンボールの教会でした。今では観光の目玉になっています。NZは人口が少なくて復興作業してくれる人材を外国へ求めたら、建築志望の若者が集まってくれる、そうです。
 崩壊したビルの跡地には、亡くなった人たち180人分の白い椅子が並べてありました。車椅子もありました。真っ白なベビーチェアーも見つけました。店を潰された人たちが集まって、コンテナーの店を開店している一角があります。そこに飾られている像は、食事を作ろうとしている母親であったり、犬の散歩であったり、ごく日常の風景を取り戻そうとしたものばかり、ニュージーランドのお国柄を読み取りました。
 夕食に出かけたのは8時頃なのにほとんどお店がしまっていて、まだ開いていると聞いたラーメン屋さんへ。スタッフ全員が日本人の経営です。あの静かな通りのどこから集まって来たのか、このお店は満員盛況。日本料理と看板が上がっていても、中国人経営が多い中、日本人が作るラーメンの美味しいことを良く知っているんですねェ

 ボタニックガーデンを廻るエイボン川を船に乗ることにしました。
静かな川面、畔で憩う市民、若い篤志は川の急流くだりこそがアクティビティーだと少々ご不満。大きなビルの床にレールが残っているのを見つけ面白がっていたらとんでもない、1886年から走り続けているトラム(市電)がビルの大扉を開いてチンチンと走って来ました!この写真も消えてありません、ごめんなさい。


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