縁 は 異 な も の
68歳の挑戦から”縁は異なもの”にタイトルを変更しました。
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日本の風景
渡り鳥のはずですが・・・
サボッテ居着いたようです。
カルガモ

手入れが行き届いた田畑を背景に
車道を歩いているカモ2匹 ヽ(`~´)ノ アブナイ!!
のどかな奈良の町。ensachi姉の散歩道です。

暖かだった3月のある日。 
春が来たと勘違いして出てきたヘビを交通整理して助けた散歩道。
カモを盗みに来た怪しげな男二人を退散させたensachi姉でした


実は このブログには記事の書き手が三人います。
管理者の私が頼み込んだのです。
左にあるカテゴリ欄に ハナコのママ・ ensachi姉とありますが
それぞれをクリックして頂くと
ハナコのママの記事 と ensachi姉の記事だけを見ていただけます。 

二人にはブログの留守をお願いしました。
これからも個性ある記事を楽しみにしていてください


リアルタイムでオーストラリアの写真を載せることはできません
ネット環境が良い場所に着いたら写真を送るつもりです。
元気に過ごしていることを発信したいと思います。


カルガモがいる道を 
私も一週間に一日 一時間は姉と一緒に歩き 
足腰を鍛えて一年間準備しました。
準備完了ですグゥッ!
face book 掲載写真
海水が入り込んだ川に沿って友人ロビンの家があります。

昨夜の大雨で庭まで水かさが増したと言う 9:45の写真です。
「まだ水位が上がっている。
 満潮が10:30なので どうなるでしょう!!!???」

ロビンの庭



これは翌朝の写真です。
「庭の菜園に塩をまかなくてよい」 なんて冗談を書いていました。
庭がスロープになって家が建っているので
家の方は大丈夫だったようです

high tide

この場所はシドニーから120km南下した サセックス インレットと言う町です。

シドニーからはサウスコーストラインが走っていて 
レジャーに来る人で賑わう美しい海岸線が続いている その近くだそうです。

背後には国立公園もあって
時々カンガルーやペリカンが庭へ来ると聞いています。
滞在中にどんなお客さんが来てくれるか楽しみ
Brilliant
tomoさんが作ってくれたビーズのネックレス
ビーズ

          tomoさんが知っているTimの奥様へお土産にします。
          作ってもらった指輪もイヤリングもどれも素敵です。

                    左にリンク欄がありますが
                           beads工房~brilliant~ をクリックして下さると
                           彼女の作品を沢山見ていただけます。

~前記事のつづきです~
「本当は誰だって生きたかった」

生き残った元日本兵はそう語っています。

しかし、そういう言う本音が 口に出されることはなく

勇ましい賛成の声が圧倒した雰囲気の中で ○をつけてしまった兵士。

たとえ自分は○を選んでも 仲間はきっと×をつけてくれるに違いない。

大多数の人達が同じように考えてしまい ○が勝ってしまったのです。

兵士の祈るような思いとは裏腹に、脱走は決行されることになりました。


隅々まで見渡せた月夜の晩に 武器にもならないフォークと手製のバッドを握って
逃げきれるはずがない広い草原に向かって 集団自殺行為の脱走をしたのです。

オーストラリアの人にとっては
名誉の死を求めて決起した日本兵の考えは想像に絶するものだったようです。

20年前 私は嘘の名前が刻まれた日本人のお墓に手を合わせました。
日本庭園さくら祭慰霊祭の日は 日豪の架け橋としてご尽力くださったグリン神父様とご一緒できました。
果てしなく続く黄色い菜の花の絨毯を眺めて
神父様のお好きな 朧月夜を一緒に歌った日のことを忘れません。

捕虜として収容されていた日々にも この突き抜けるような明るい大空があったのだなぁ
そう思うと少しホットしたものを感じます。

カウラ
カウラでグリン神父様と一緒に。tomoさんと初めてお会いしました。

近々 私はオーストラリアの友人と楽しい再会をします。
友達と一緒に 広がる大地 西オーストラリアを旅する計画も目前に控えています。

以前 この目で収容所跡を見て 悲しい話を知って深く心に残っていた
戦争中に 日本人の集団大脱走がカウラであったことを書きました。
そのカウラが日豪関係改善の舞台になって 今は広く日豪友好交流が続いています。

生きて虜囚の辱しめをうけず
第二次世界大戦のさなかにオーストラリアで日本人1100名が捕虜になった事実があります。
N.S.W州にあるカウラという町に日本人とイタリア人が収容されていました。
その収容所で日本人捕虜が月夜の晩に集団大脱走する事件が起こりました。
この脱走によりオーストラリア人4名、日本人234名の死者と108名の重傷者が出ました。


カウラ収容所で捕虜達は自由な生活が許されたそうです。
野球を楽しみ 日本人が好む魚が出され 日本酒を作って飲むことも許されたとあります。
イタリア兵は祖国の家族へ手紙を書いたり 現地のオーストラリア人と親しくなり後に結婚した人もあったと聞きます。
豪州兵は寛大な措置をしてくれました。


そう言う状況下でなぜ脱走事件が起きたのでしょうか?

日本兵は「生きて虜囚の辱めをうけず」と書かれた「戦陣訓」が重く心を占めていました。
ある下士官は「日本国に忠誠を尽くさないのか!こうしていていいのか?」と怒鳴る収容所内です。
こうして捕虜として生きていることを お国には知られたくない。
知られたら 残してきた家族が村八分になるのでは?
怯えた日本兵士のほとんどは偽名を使ったと言います。


下士官の影響力が強いと見た豪州兵は
兵士と離れさせて別の収容所へ移す方針を伝えてきた。
その移動命令が出た日に 集団脱走が決行されたのです。


戦闘で名誉の死を遂げる。そのために脱走を決行する。

脱走に賛成するものは○ 反対は×をつける。

どちらを選ぶかは 全員が○×投票をして決定する。と決まりました。

一人ひとりの心の中は葛藤が渦巻いていたと想像できます。


            ~次の記事へ続きます
登大路ホテルを考察する
優越感に特化したホテルにすると決めたなら
徹底したサービスをすべきだと思います。

それなりに歳月を重ねてきた女性は、
心にもない言葉に舞い上がったり
過剰なサービスで喜ぶほど単純ではありません。

女性をひと括りにして、画一化したサービスを展開していては
いずれホテルをたたまなくてはならなくなります。


永いこと人間やってると、さまざまな経験を積んで、
誰でも一つや二つ、自負することや、拠りどころとすること、
自慢したいことを持っているものです。

登大路ホテルは、一人ひとりの個性や
キラリと光るものを見抜けるホストを養成することが肝心です。

ごく初歩的なのは外見的な品定めです。

上品な奥様ですねとか、ほっそりとしておられるとか、
服装の趣味がいい、声がお若い、明るい方ですね。

中級になると
ホストは老婦人に積極的に話しかけなければなりません。

そうすると相手のいろんなことが分かってきて

立派なお子様をお持ちですねとか、
お料理の腕が立ちますねとか、
話し上手ですねなど、
殺し文句が見えてきます。

最上のもてなしは、
ホスト自身、一人ひとりの話題に合わせられる
知識や見識を持たねばなりません。

客の趣味や知性にあわせた話題を提供して
心の琴線に触れる高度なサービスをめざすこと。

これこそが極めつけの優越感を満足させて
また来たいホテルになれるのです。

ホテルとして生き残っていこうと思ったら
難しいけれど、本物のサービスを展開すること。

それをしなければ、いずれ飽きられて
ホテルは傾く運命になるでしょうね。






















登大路ホテルのサービス
いまや、ブログはオーストラリア一色ですね。


スケールの小さい記事で気がひけますが、
私の置かれたささやかな世界にもストーリーはあるのです。

フランスのボンデュガールの風景

登大路ホテル。

そのホテルは、女性の優越感をくすぐることで成り立っています。

まず、会員制であること。
そこの会員であることが、いわばステータスシンボルになっている。

会員はお金をたくさん持っている高年層の女性が占めています。


会員に連れて行ってもらうと、我々貧乏人も
そこでありがたく食事をさせてもらえるという仕組みです。

贅沢な雰囲気のなかで、黒い礼服でキメたソフトな物腰の
ウエイターに取り囲まれて、
50~80歳代の女のグループがちょこんとかしこまって
食事をします。

宴たけなわの頃合いを見計らって、スマートなウエイターが、
それではこれから、お若くて美人の奥様方のお写真を撮らせてくださいと
言うわけです。


余命短いお婆さん連中を
美人と言わなければならないのがウエイターの仕事です。

一方では、

トイレに立つお婆さんがいれば、すかさず若いウエイターが
一緒についてくる。
トイレで倒れることを心配した心遣いでしょう。


しかし、客は自分が若くて美人でないことくらい分かっているし、
トイレで倒れないことも確かです。

個人的には逃げ出したくなるサービスです。


 年老いてくたびれ果てた客を迎えるために覚悟を決めて、
相手が喜ぶサービスをしようと
言いにくいことを言ってくれるいい男。

ここは素直に喜んでおきましょうか。



届きました!
オーストラリアドルとチェック
インターバンクからオーストラリア$が宅配されて来ました。
懐かしいポリマー紙幣です。
この方の顔には馴染みがなくて
エリザベス女王の顔写真が印象に残っているのですが 
それは5ドル・10ドル紙幣で よく使ったからでした


セシールからはトラベラーズチェックが届きました。
銀行や郵便局で作ると手数料が取られるのですが
セシールは手数料が無料で 宅配の送料420円を支払っただけです。

ビザはオンラインで申請したのですが これだけでOKなんですね。
今回 パスポートを取得したら磁気カードが付いていて はてな? でしたが・・・
申請完了すると この磁気にビザが記入されているんですよ~!!
だから 空港ではこのパスポートを提示するだけでOKだそうです

Good job ! !

パスポートとビザ
トラベラーズチェック と AU$ と visa card
そして保険も加入しました!!

これだけあれば旅行に行けます。




セスナをチャーターして
エアーズロック

エアーズロックへ飛びました。
確か 10人乗りセスナ3台をチャーターしてくれて
母校の高校生と一緒に 一ヶ月近くの旅をしたんです。

「やすし」という名の子がいて「名前を呼ぶな お寿司を思い出す
一ヶ月の旅行で 若者は日本食が恋しかったのでしょうね!!

セスナなのでエアーズロックまでの途中で給油ストップしました。
果てしなく広がる砂漠のど真ん中です。

鉱物を掘り出したシェルのような跡が点在するのを上空から眺め
いつの間にかウトウト。
そして目が覚めても まだ同じ風景が続いていました。
 セスナでエアーズロックへ

今度のモーターホームの旅では
ダーウインからエアーズロック近くまで国道を南下縦断し
アリススプリングスからアデレイドまではガン鉄道に乗る計画でした。
ロビンとジョンの旅は そこまで続きます。

私には予期せぬ朗報が入りまして
8人目の孫出産が9月初めなのでそのお手伝いに飛んで帰ります。
ダーウインへは8月末に到着する予定でして ギリギリ間に合いそう


あんなことコンナコトあったっけ♪
ホリデーには長距離バスに乗って友達を訪ねました
深夜にローリーショップがあるバス停で乗り換えです。
乗り換え客のバッグを降ろして 目的地へ発車するバス
私のバッグが降りてないよ と叫ぶ私に
運転手は good girl! の一言をかけて去って行く 
とかの謝罪はないんですよね。

よくあることだそうで
旅が終わった頃に 遠くまで運ばれたバッグが戻ってくる
叫んだ私は good girl  だったのです。

wagga wagga
屋根の上に乗っているのは車。天井を突き破ってパブへ突き出ている。



無謀なことですが シドニーにある図書館へ本を探しに行った時です。
日本語の本は見つけましたが 目当ての歴史本がありません。
それでも満足でした

その日の 帰りの列車でトラブル発生です。
「ここから先の区間が通れないためバスに乗り換えて下さい」
このような車内アナウンスがあったのでしょうが 理解していませんでした。
気がつけば車内はカラッポ!?
飛び降りた時には連絡バスが発車後でした

困った顔 をしていたら
なんと(@_@;)駅員さんが私を車に乗せて 次の駅まで(30分位かなァ~)走ってくれました。

すごいサービスです!!! 

Stacy.jpg
Stacyに着物を着付けてあげました。
あと少しです<パート1>
このところ焦っている状態の毎日が続いています。
5月に格安航空券が買えなかったことから始まりました。

待ち望んでいた 関空~ゴールドコースト1万円発売のニュースが入り
飛びついたものの この格安券はシンガポール経由でした。
重いスーツケースを持って乗り換えする体力的・精神的苦痛を考えると
無理だと悟りまして 2.5万円の直行便を予約することにしました。
サーチャージ等を加えると 往路4.3万円です。
復路はダーウイン~関空3.8万円。
往復の航空券合計金額は 9万円也。

念願の1万円券を利用できなかったのは悔しいけれども
ジェット格安航空はやはり安いと思います。
快適な空の旅が出来たら 皆さんにお薦めしたいです。



羊の毛刈り
羊の毛刈りをしました。1匹刈ったらいくら貰えると思いますか?
手間賃は1匹100円です。1日に100匹の毛刈りをして1万円の日給だそうです。
バリカンでキズだらけになった羊が次々開放されて行きます。


バカなことをしたのは
この1万円券を待っている間に 出発を予定していた土・日の券が売り切れてしまったことです。
仕方なく7/9(火)出発するのですが 楽しみに見送ってくれるはずの長女一家には叱られるし
申し訳ないことをしてしまいました


糸繰り

刈り取った毛を洗って と言ってもまだ羊の匂いが残った毛を
糸繰り機で毛糸に紡ぎました。
居間で話しながら編み上げたセーターは 羊のままで雨を弾くものでした。

太っているのは私です。1年間で7kg増えました。ケーキの食べ過ぎでした。
あと少しです<パート2>
同じようなヘマをしないように注意しながら
モーターホームを利用する私の分担金として40万円を
立て替えてくれている友人ロビンに郵便局から送金しようと申込みました。
これが大失敗の始まりでした。

ロビンが連絡してきた口座というのは
アメリカンエクスプレスに入金してから教職員銀行へ送金するというものでした。
メールに添付されたメモを確認しながら
郵便局の送金書類を書き込んだつもりです。
ところが2度も訂正書類が返ってきたのです。
そこで初めて上記宛送金が不可能だと判明した。

郵便局員さんは良くわからなくてすみませんと謝って下さるが
どうにもできないから 返金してもらうことにしました。
送金手数料2、500円 + 訂正料1、000円 + 返金手数料4、000円
合計7、500円の経費と 何度も何度も郵便局へ通った労力は
全部無駄になったという訳です。

浮世絵
浮世絵 外国の人が喜ぶ写真を下さいました。お土産にします。 
 浮世絵「白雨」 
 
富嶽三十六景


さて 40万円分のオーストラリアドルを支払う方法について考えているところです。
私のvisa cardではキャッシングの手続きや限度額のアップが必要です。
現金を腹巻にして旅するのは 江戸時代のお伊勢参りみたいです。
トラベラーズチェックが安全だと教えてもらいました。
オーストラリアで現金化ができるそうです。
調べてみると 
手数料には大きな違いが!と書いてあるので どんどん気が焦るんですね。
セシールと言う宅配のT/Cに申し込みすることに決定です。
ついでに損害保険にも加入しました。
ビザもネットで取得できると教えてもらい これもやっと完了です。
あと少しです<パート3>
これは ”奈良町の隠れ家的カレー店”で紹介した画家中川さんの絵葉書です。
数回の手術をされた後に
好きな絵を描くことで元気な日々を取り戻されました。

中川さんは 今度一緒に旅行するロビンとジョンとも友達です。
そこで ロビンとジョンのお土産に持って行きたいから 
是非 奈良の絵を描いて欲しいとお願いしたのです。
大仏殿、不退寺、飛火野と 素敵な絵を送ってきて下さいました。
中川さんの絵葉書
興福寺の片隅
  

今日 オーストラリアドルが為替レートで95円になりました。
今が両替時かと思います。
ネットで両替して宅配してくれる業者を見つけました。
TicketOnlineですが安心できる会社なのかどうか??
不安があります。

ネットにも挑戦するつもりではいましたが
68歳の私にはパック旅行じゃないと 荷が重すぎたようです。
精神が休まらない状態に落ち込んでいます。

そんな今日 宅配で届いたのが友の育てた採れたて野菜一杯の小包でした。
豆やキャベツの甘さに涙してパクついている私です。
愚痴歓迎と言ってくれた友がいて イライラしていた気持ちが安らぎました。

あと少しです。
様々なことを 身近な友人に助けていただいて 
今回の旅行が成り立っていると思います。
頑張って準備続行します。

根付
これは何でしょう?
根付農民・親子
農民 と 人魚 と 親子

「根付を知っていますか?」
日本語教師のTimに聞かれて 当時は知りませんと答えた私でした。

その彼から電話が入ったので ビックリ(゚O゚)してしまいました。

違う町へ家移りしたけど ニューキャスル空港へ迎えに行くから 
モーロングまで車で一緒に行こうと言ってくれました。
バンザ~イです。
スーツケースを持って移動するのが一番大変なんですからね。

これはTimへのお土産にネットで買い求めた根付です。
今でも根付に興味持ってるかな 喜んでくれるかな。

Molong ok
     Molong Central Schoolの先生と生徒。
     頂いた写真の裏には To help your remember us, Sachiyo.と書いてあります。
     Timは真ん中の右端で黒のベストを着ている人です。

     日本では考えられないオンボロ車に乗って 日本語の出張授業にも行きました。
     130kmのスピードで田舎道を走るのです。
     ロードコースターと名付けて アップダウンを楽しんだことを思い出しています。

     
    不思議ですねェ
    オーストラリアで過ごすうちに
    車酔いをすっかり忘れていたのにね。日本へ帰ったら今は又車酔いに悩まされてます。

懐かしさはどこからやって来る?
私の経験では匂いです。

11年前にゴールドコーストへ行く機会ができました。
息子と嫁がオーストラリアで結婚式を挙げてくれたのです

末娘と二人でブリスベンの空港へ降り立った時
「懐かしいオーストラリアの匂い! また来たんだ~」と感激しましたねェ
ユーカリやワトゥルツリーの中で暮らしていた その匂いだったのでしょうか。


モーロングのメインストリート
 モーロングのメインストリートです。古い写真をコピーしています。
 
  右手にあるのがポストオフィスです。
 あの頃は携帯もパソコンもなくて 連絡は公衆電話とairmailでした。

 日本からのairmailの宛先は Molong NSW Australia だけで届いたものです。
 私は先生宅や警察官 又は生徒の家々に1ヶ月単位で滞在したのですが
 今は誰の家に住んでいるのかを 郵便局員さんがいつも知っていたからです(´∀`)
 

20年経った今は どんなに様変わりしているでしょうか
反対側にあった1軒だけのスーパーマーケットもあるのかな? 
そのままだったら ローリーを買いに寄ってみます



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