縁 は 異 な も の
68歳の挑戦から”縁は異なもの”にタイトルを変更しました。
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追記
[ローマと訪れたダーウイン]

ブルームに着いた日に、ローマの体調が悪くなりました。
彼女は温度差に順応しにくい体を、薬で保っているようでした。
一週間に一度自分で打つ注射と
種々の薬が入った大きなバッグを持参して参加していたのです。

ローマはtomoさん母娘が大好きでした。
退屈な車中でゲームをし、明るいムードメーカー役をしてくれました。

ある日、彼女はブラジャーに止めてあったリングの束を
取り出して見せてくれました。
一つは亡くなった最愛のご主人と婚約した日に貰ったもの。
二つ目は結婚指輪。
三つ目は君に、と最後に買ってくれた思い出の指輪。
ローマは、それらを肌身離さず身につけている人です。

アデレードリバーにあるダーウイン爆撃で死亡した人のお墓を訪れて
今回のローマの旅のもう一つの目的を知りました。

1942年ダーウインが日本軍の爆撃をうけて
250人近くの人が死亡した事実があります。

ローマの父親は、ダーウインから南下したアリススプリングスに
戦時中必要なタンクを造るため召集されていたそうです。
若い時の彼には、ダーウインの郵便局で働くガールフレンドがいました。
その彼女一家が郵便局爆撃で死亡していて
ローマはその人のお墓参りをしたかったようです。
そして
父親と、タンク造りに関わった6名の名前が刻まれた
現存するタンクを見に行く予定だとも教えてくれました。

この年の3月に老衰死した父親について、父の友人とローマの兄で調べたことが、大きく新聞記事に掲載されたと聞きました。
これがきっかけで、この地を訪れたいと思ったローマは
自分の病気の心配をしながらも、今回の長旅に参加したのでした。

ダーウイン最後の日に
爆撃のメモリアルツアーに参加することになりましたが
私は行きたくありませんでした。
仕方なく付いて行ったツアーです。

ガイドに名前を聞かれて サチヨと答えると
サチコだろう? と聞き返してきたのですが、
日本のことをよく知っているよ。女には”子”がつくよ。
と言っているのでした。

バスに乗る前にそんな会話をしたので
私の名前を覚えたのでしょう。
ツアーバスの中では「サチヨは知っているか?このことをどう思う?」
と質問攻めに会い、歴史事実を知らない上に、説明している英語が
分からないので I don't know. しか言えずに大恥かきっぱなしでした。
軍票
これは日本政府発行のドル紙幣です。
旧日本軍がばらまいた「バナナリーフマネー」と呼ばれたものです。
現在は価値のない「軍票」という紙幣だそうです。

爆撃をうけた断崖にも行きました。
そこには、軍艦の残骸が残っていて
今尚、80名の日本人が沈んでいるとの話も聞かされました。
メモリアル会館では、爆撃の映像が大音量で流れました。
そこにいる日本人は私一人で、身の置き所がない思いでいたのですが
人々の目に憎さはなくて、零戦の威力を見ている風に感じられました。

ガイドが私に見せたいものがあると呼びに来ました。
気が進みませんでしたが、ロビンに促されてついて行くと
不時着したパイロットをアボリジニが助けた。
その時の日本軍服や所持品が展示され
敵国の軍人を助けたアボリジニを賞賛してありました。
このパイロットは捕虜としてカウラへ送られました。

この人こそ
あのカウラ大脱走でラッパを鳴らして脱走を指揮した人でした。
カウラの歴史に残されていた名前は偽りで
ここに記名してあるのが、彼の本当の名前だったのです。


見学が終わり、トボトボとツアーのバスへ歩いていた私ですが
ガイドの英語はなまりありますよ。早口で理解しにくいね。
そう声をかけてくれる人達の優しさを、嬉しく感じていました。
近寄ってきたガイドが私に最後の質問です。
「ツアーに参加してどう思ったか?」
もう I don't know. では通りません。
「NO more war.」と小さく答えたら、周りの人は
その通りだと和やかな眼差しを向けてくれホットしたのを思い出します。

外はあっけらかんとした青い大空が広がっていました。



その足でダーウイン空港へ送ってもらい
ロビンとジョンとローマはアリススプリングスへ旅立ちました。

夕方6:30飛行機の中から夕暮れのオーストラリアの海を見ています。
ここから見える真っ赤な夕焼けは
アボリジニの旗にある赤色だなァ~
そんなことを思いながら、暮れていく窓外を眺めていました。
さようならオーストラリア。

















旅の終わりに。
モーターホームの走行距離は 6,815km
給油は 1,048.5リットルでした。

[オーストラリア英語]

20年前、アメリカから来た先生が私と同じように
モーロング学校に在籍していた時のことです。
ホームシックになった彼女がコーヒーを飲みながら
「英語が分からなくて淋しい」と泣くのです。
「英語が分からない???」分からないのは私でしょうと
言いたかったのですが、どうやら
ジョークで話すオーストラリア英語が理解できないようでした。

Hang on your hat.
運転手のロビンが座席の私達に声をかけます。
直訳すれば”あなたの帽子をしっかり押さえてね”です。
これは
”デコボコ道になるから気をつけて」と私達に言ったのでした。
オーストラリア人はジョークが大好きです。

ジョークはおろか、英会話もおぼつかない私ですが
何とか話そうとする私のことを
理解しようと、親しみを込めて聞いてくれるオーストラリアの人達です。



[車の中とキャラバンパークの暮らし]

指相撲、腕相撲をしました。
私も強いのですが、腕が長いローマに負けました。
ジョンにも負けましたが、いいところまで戦いました。
ジョンがローマに勝って得意顔をしていましたが
体格のいい男ですから勝って当然なのです。

朝食でパンの角までマーガリンやベジマイトを塗るローマに
”そんなにベットリ塗るの嫌だな”とジョン。
”私はパンの端っこを愛します”とすまして答えるローマ。
4人掛けのテーブルに、立派な体の私達4人がキツキツ座り
食事をし、おしゃべりするのは楽しいひと時でした。

モーターホームをサンドペーパーの木の横に止めた日がありました。
アボリジニが楽器ディジュリドーを作り
美しく磨くために使ったというこの葉っぱは
表面がザラザラしていてサンドペーパーになっていました。

ダーウインまで来ると、日本人にも会うようになりました。
海外生活が長くて、子供2人は外国生まれだと言う日本人家族が
旅行に来ていてキャラバンパークで出会いました。
日本人同志お互いに懐かしくて話すようになると
ジョンとロビンはその会話に入りたくてやってきます。
奥様も英語が得意で社交的な方だったので
ジョンは楽しそうでした。
ジョンの口から唐突に、花魁の話が出てきたりしていましたが
いつものことなので知らぬふりして
私は子供達に”だまし舟”を折ってあげました。
奥様は”そうそう忘れていたね。これからは折り紙しようね”と。
子供達が経験したことのない日本の暮らしを
教えておいてあげたいと願う親心を、その時に感じました。

アデレイドリバーと言うキャラバンパークでは
朝の4時頃に列車の走る音が聞こえました。
ここは北のダーウインから南のアデレードまで
ザ・ガン号が大陸の中央部を走る鉄道が近くにあります。
アフガンのらくだマークの列車ですが、ロビン達と最後まで
旅を続けていたら乗っていたはずの大陸縦断鉄道です。
憧れていた列車の汽笛を聞いて、その後は眠れませんでした。
もうすぐ私の旅は終わります。


[ダーウイン最後の晩餐]

夕日を眺める船上ディナーをご馳走してもらいました。
ロビンは白い綿パンを新調し
ローマはマーケットで買ったオシャレなTシャツに着替え
私は持参した黒いシースルーの上衣。
日本なら女子会ランチのお出かけスタイルです。
長旅の運転のお礼を言いたかったのは私の方なのに
3人に招待してもらって、大変嬉しい最後の思い出になりました。

最後のディナー









ホールスクリーク~ダーウイン 西オーストラリアをモーターホームで北上7,000kmの旅
ホールスクリーク(8/16泊)~ダーウイン(8/26)
last.gif
①キャサリンゴージツアーに参加。
 川幅は広いのですが、両岸は高さ数十メートルの断崖絶壁で
 日が当たらない場所ではシダ類が密生していました。
 
 日本が夏の季節は、オーストラリアは冬です。
 ところがオーストラリア大陸の北の地域に来ると
 冬の季節でも35度前後あります。
 熱帯雨林地帯になるからです。

 ここキャサリン渓谷をボートツアーしている間中
 ジリジリ照りつける日差しで干物になってしまいそうでした。
 そんな中、若夫婦に背負われて観光に来ていた赤ん坊が
 余りにもキュートで、日本風にあやすとキャッキャと笑っていました。

 この辺りまで来ると観光客と出会うようになり
 初めて、留学していたと言う日本人女学生に合い
 お互いに嬉しくて、つい親しく話したものです。

②Baob(ボアブ)の木
 太い幹の内側は空洞になっていて、牢代わりに囚人を捕らえていたので
 囚人の木とも呼ばれているそうです。
 
③この断崖にアボリジニの壁画が残っている。
 かってここは彼らにとって非常に重要な土地だったらしい。
  
④一日のドライブを終えてキャラバンパークへ到着すると
 真っ先に水着に着替えてプールへ体を冷やしに行く。
 日本の銭湯のように、プールは社交場になっていて
 ダーウインから下ってきたよ。と言う人もあれば
 これから行くんだよと言う人もいて
 ○○のレストランへ寄りなさい最高だよ。などの情報交換もする。
 彼等の会話はマーベラス! ビューティフル!の連発で
 ほめ合いの付き合い方を楽しく見せていただいた。

 一度書いたけれども
 ボインボインの肉体美を水着のままで夕方まで過ごす人は多く
 開放的な姿はあの場では似合っているのです。が
 プールに入る水着さえも苦手な私には真似のできないことでした。

⑥リッチフィールド国立公園にあるワンガイフォールズです。
 ピクニックランチを広げている人がいたり
 滝壺で泳いでいる人もいました。

⑦アリ塚
 アリの一族が棲家を造るのですが、余りの大きさにビックリします 


ブルーム~フィッツロイクロッシング 西オーストラリアをモーターホームで北上7000kmの旅
ブルーム泊(8/9)~フィッツロイクロッシング泊(8/15)
8916.gif
①ブッシュファイア
 煙のようなものを見つけましたが、近ずくまでは雲のようにも見えました。
 私達日本人があれは火事だよ!と騒いでいましたが
 ロビンとジョンは気にもしていません。
 聞くと
 古くなった木が焼けて朽ちたところへ、新しい芽が出て新しい木が生える。
 こうして繰り返すのが自然の姿だそうです。

②ブルームの日本人墓地
 ブルームは真珠養殖で有名な町です。
 ここにあった会社に雇われて、真珠取りをしていた日本人が多数いました。
 深海に潜って亡くなった人は多く
 また、当時襲ってきたサイクロンによる死亡者も多かったそうです。
 1000名程の日本人がこの地に眠っていました。
 墓碑には和歌山県西牟婁郡出身が多くて、
 どうしてだろう?と疑問を持ちました。
 
 鯨を追ってオーストラリア近海までやって来た太地町の捕鯨船が
 赤ちゃん鯨を捕獲すると母鯨の怒りを買い、その反撃で船が転覆しました。
 一命をとりとめた若者3名が
 このブルームの真珠会社で働くことになったのが始まりでした。
 その後、知人を頼って出稼ぎにやって来た西牟婁郡の人達は
 本当によく働き、ブルームの真珠養殖の発展に大きく貢献したとありました。

③ワニを抱く
 西オーストラリアを北上して行くとワニが沢山いました。
 ボートツアーではワニが水面から顔を出しているのです。
 同じ川の上流では泳いでいる人がいたり
 ヤックに乗ってボートの観光客に手を振っている人もいました。
 水泳可になってる地域は、安全に配慮してあるんでしょうかねェ
 
 ワニ園では獰猛なワニを見ました。
 体長も大きくて、飼育員がワニの近くで餌を与えるのを見ていると怖い程です。
 ここで、3ヶ月と8ヶ月のワニを抱かせてくれました。
 口には輪っかをはめてあるので、かぶられる心配はありません。
 小学生の男の子が、そのワニを抱き上げて拍手をもらっていたくらいで
 オーストラリアの人が誰も抱こうとしなかったのは
 怖いから? つまらないから?どうしてだったのでしょうね。
 tomoさんが平気な顔して抱き上げた後
 まさに私に手渡してくれているところです。

⑤アボリジニのインフォメーションセンターです。
 アボリジニアートを3枚買いました。 栞くらいの小さな物ですが
 支援の意味があるのでしょう1枚1,500円もしました。
 
⑥ワンジャーナ渓谷ツアーに参加しました。
 水の中へ入るよ、とは聞いていましたが
 靴もズボンも履いたまま、太もも位までジャブジャブ入って歩くのです。
 日本の観光地では、こんな大胆なこと考えられません!
 しかし、素晴らしい経験でした。

⑦全員がヘッドライトを消すと、洞窟の中は真っ暗闇。
 高い岩の上にクオッカの足跡が見えるとか 顔が見えるとか。
 その度にライトを当てますが
 足元の危ない石道を、皆に付いて歩くことで精一杯でした。。
 
 





 
 
カナーボン~80マイルビーチ ・ 西オーストラリアをモーターホームで北上7000kmの旅
カナーボン泊(8/2)~80マイルビーチ泊(8/8)
アボリジニ

①3両連結ロードトレイン
 ロード(=道路)トレイン(=列車)は列車と呼ばれるほど長い車のことです。
 何両連結車に会えるかと期待していましたが
 見たのは4両連結が最長で64個のタイヤがついた車でした。

②80マイルビーチで見た夕日
 80マイルは約130km、それ程続く砂浜のビーチが目前に広がりました。
 大陸の広さに感動です。
 ジョンはすみれさんを伴って魚釣り。
 ずっと広がる、遠浅の海辺に一本の糸を垂らして魚を待っていたようです。
 
③カナーボンでは家々にブーゲンビリアが綺麗に咲いていました。

④アボリジニの壁画を岩場へ見に行く。
 その岩場の窪みに人骨らしき頭蓋骨を見つけて、それにはビックリしました。

⑥資源が豊かなオーストラリアです。
 遠くに炎を見つけたのですが油田だそうです。

途中でタイヤの空気が抜けたような違和感があるからと
ブリジストンタイヤでチェックしてもらった。異状なくてよかった。

ロビンが私に質問した。
  「西オーストラリアへ来る前に想像していたのと違うか?」
私 「何と遠いこと!と実感している」
ロビン 「never never=簡単には目的地に着かない」
私 「星空を見上げ、日没を眺め、どこまでも続く道と、果てしない同じ景色に
  オーストラリアの大きさを体で感じたが、想像では味わえなかった」

⑤のスライドショーが消えました。
 バカナウエーで野宿した写真です。
野宿

 キャラバンパークの灯がないので、星空を見るチャンスでした。
 星はキラキラと大きく見え
 プラネタリウムのように360度グルーッと広がる夜空でした。

 翌日は、朝日が登り紅のスクリーンに黒い木々のシルエットが美しくて
 見とれるだけで、朝食の準備はしません。
 非常時の水と電気はありますが、使わないで
 70km先にあるスタンドまで朝食をとりに走りました。
 なんと トーストサンドと水で16ドル(約1,600円)もしました。

 恐ろしかったのは暗くなってトイレに行くと
 ゴキブリが何百匹だったでしょう!ぞろぞろ歩いてきて・・
 あれには参りました。